タイトルを変えてみた

2026年09月30日 11:13

タイトル、本音通信。本音がどこまで話せるのだろうか。
8月後半から今日までほとんど農作業をせずに過ごした。ゆっくり過ごすということをしてみた。
さぼり、とも言う。草ボーボーになった畔草や田んぼは見ないようにした。車で素通りした。
地域の農家連中から非難を受けることが怖くて無理やり仕事に出てみようとしたこともあったが
できなかった。
やってもやっても追いつかない。きりがない。農作業なんてそういうことの
連続で、だからこそ1日ちょっとでもよいから仕事してないとたちまちやる気が失せる。
すると自分はなんて自堕落なのだろうと自分責めを始める。
45歳になってもまだこんな思考を繰り返しているんだな、と思う。

要するに本音通信というタイトルにわざわざ変えたのは
23歳からずっと地域の目を気にして動き続けてきた私の本音って
どこにあるんだろうっていう思いをちゃんと拾い上げたからだ。
田舎のこびりついた思考の習慣に翻弄されることなく生きたい。
そもそも私という人は、私はこうだというものがない人間で
人の言われたとおりにすることが好きだったりする。
なので田舎のこびりついた思考のせい、というのは違ってもともと
私は人に評価されることが好きで、というかそのためだけに生きてたと言っても
過言ではないんじゃないかと思う。すごいねって思われたい。

さて、10月はお米を売る回数を増やしました。
水木金と連日やります。
地元の人に気軽にお米を買いに来れる場所にしたかったけれど
これは難しい。みんなどこでお米を買ってるんだろう。

うちのお米は特別美味しいわけではないと思う。
でも朝日のぶづき米はちょっと美味しいと思っている。
真っ白な白米で比較すると、お米なんてほぼ変わらない気がする。
そもそも私は美味しさの追及に興味がなく
食べられるだけで有難いと思うし、気候風土で採れるものの味は違うから
山口にいて新潟のお米を食べようという考えには至らない。

無農薬、無化学肥料栽培で付加価値を付けるのも違う。
できたお米に対してではなく、そのお米を生産するまでの
お米作りの価値を評価してもらえると報われる。
一番思うのは、自分が食べるものを誰かが作ってくれているということを忘れてはいけないということ。
もっと広く捉えると自国の食料を自国の農業で賄わずに
お金の価値だけで食と農業がやり取りされること。
これはとても腹正しいと感じる。

そして、田んぼを、お米作りを放棄して、この国これからどうするの?










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