子供の頃、日曜日の朝のテレビアニメの時間に
父親から
「手伝って~」と言われる。
当時は、おじいちゃんの農業を父と母が主に手伝っており、その下請けを子供の私たちがうけていた。
テレヒがみたい!
みたいのに!
お手伝いが嫌だと言ったときに父がキレたことがあり、その恐怖が残っている。
そう、嫌々、農作業のお手伝いをしていたのだ。
当時も、私たちのように毎週日曜日に農作業のお手伝に駆り出される子は少なかったと思う。
お風呂が五右衛門風呂だったので
家族総出の木こり仕事。薪割り。
竹藪の伐採。暮らしのための農作業とお米作りの農作業は家族総出の仕事で、それが恥ずかしかったのだ。
嫌々、仕事に駆り出されるのだけれど
父の真剣な仕事姿、おじいちゃんの優しい笑顔、おばあちゃんの手作りおやつの差し入れ。
いつの間にか、ほっこりと、家族がまとまり、キレた父もキレられた子供らも
いつもの間にかそれを忘れている。
思い返せば、
トラクターがひっくり返りそうになったり、ぬかるみにはまったり、
延々と草取りをさせられたり、
苗箱を洗ったり、運んだり。
兎に角、農作業は延々と同じ作業の繰り返しだったり、命に関わることでもあり、それに携わる子供は、マジなのだ。
マジでなければできないからこそ
家族のマジな姿に出会える。
時には怒り、はぶてる(すねる)ことも。
逃げ出すこともあった。
大人が、喧嘩をしたかと思えば
仲睦まじくやる、あべこべな姿。
笑いあり涙あり、アクシデントありな日々。
そこには愛があったのだ。
人との共同作業にはストレスが生じる。
と同時に愛も芽生えているのである。