日本人の
かつての自然観は素晴らしかった。
里山とよばれる風景は
人がうみだしたものだ。
多くの日本人がその風景に愛着をもち
それが自然だと思っているのではないだろうか。
森や林や野や山と共に暮らしがあった頃。
それらを開拓して暮らしを切り開いてきた。
暮らしに必要な分だけを
「手入れ」という感覚で。
根こそぎ自然をとっぱらって
コンクリートのかたまりにすることはしなかった。
手入れという感覚は
目の前にあるからやる
人や自然という「相手」を何とかしようとしない
そんな感覚。
田んぼの畔に咲く野の花が
咲き誇る姿をみたいから草を刈る。
自己満足だけのように聞こえるが
野の花も命が繋げて本望だろう。
風呂を焚くために山の木を切る。
薪を作る。
それが山の手入れに繋がる。
わかりすくいうと
計算のない感じ。
自然という相手から
「謙虚さ」というものを
身に付けていたんじゃないかと思う。
驚くべきことに
「自ら」が「然り」と書いて
自然なのである。
とても深い意味がある。
自分の身体が自然だということに
気付いていない人がほとんどの世の中で
必要なことは
山や野や田んぼや畑に向かっていくこと。
便利なものは何も持たずに。
自然という意味は
「関係性」のことなんじゃないかと気付き始めた
日曜日の朝。