18年間農家をやってきて思うこと。
私の住んでいる佐山という田舎は、田んぼの存在で地域の人々が繋がっていた。
田んぼに水を引くために、力を合わせて、祖先がため池を作り水路を作り、
お米を育てていた。海沿いの地では、上流から流れてくる水がとても貴重で
水のために、皆が力を合わせていたことが今の私には容易に想像できる。
だから、田んぼには水利権という権利がある。
「あなたの家にはお米をつくる権利がありますよ」という
水を使える権利費を、田んぼの所有者は納めている。
時代の流れで、田んぼは儲からないから勤めに出たほうが良い
という共通認識のもと、田んぼを次世代に継がせない農家が増えた。
だから、水利権が与えられている という意味がわからない人が多くなり
田んぼという土地の存在を負担に思う人がいる。
そして、田舎では近所づきあいという人間関係の苦労がつきものだ。
だけど、農家生活で学んだことは
個性の強い人が集まる田舎共同体で
それを統制していたのは、田んぼにまつわる共同作業や
祭事なんだと想像できる。
どんなにいがみあっている人同士でも
先祖の土地を守り抜く、大切にする
という思いは大義名分で、それが皆を同じ方向に向かせてくれていたのだと思う。
それが、崩壊しつつある。
みなをつないでいた、先祖の土地を守る という思いが
いつしか受け継がれなくなり
田んぼという土地では、人が、まとまれなくなった。
それが然りだと思う。
自分の足元をみつめる というのは難しいものだ。
そこに住んでいる人には、そこの良さはなかなか感じられない。
日本人が日本の成り立ちを知らないように。
田舎も、新しい風を必要としている時期なんだと思う。
今、農業や自給自足の暮らしに興味をもつ人が増えている。
結構ほんとに、そこには
何かしらのこたえが、あるわけなんです。