私はおじいちゃん(祖父)が大好きでした。
寛大で、人に良くして
穏やかで、農作業姿は美しい。
人に助けられ
自分があること。
だからこそ、人を助け、寛大に人を見守られる。愛のある人でした。
おじいちゃんを通して
田舎の、共同体の良さに憧れ
私は、田んぼを継いだ。
最近、窮屈だなと感じるのは
共同体の良さだと思っていたことが
人を脅すことに変わってしまったこと。
圧倒的に、
田んぼをやる個人の農家がいなくなり
法人(集落営農)がほぼ田んぼをやるようになって
「皆がやっているから」
「皆と同じように」
という、愛ゆえの思いが、
通用しなくなっている。
それが、流行りの「同調圧力」になってしまっている。
とても悲しいことだと感じている。
祖父の頃のように
個人の農家同士の繋がりはなく
形だけで
皆がやってるんだから
と
皆と同じにやっていない
農家に罰を与えるようなやり方。
とても悲しい現実。
今の日本の社会とリンクしている。
農村社会は
日本を写し出す鏡のようだと思っている。
愛ゆえの行動、言動に
想いを馳せたり
想像することがなくなり
皆と同じにできていないことは
悪いことだと
あぶりだす。
その人も、愛ゆえの言動なんだと思うけれど
時代は明らかに変わっていて
昔はそうだった
昔からこうだった
は
現代には通用しないことを
知る時なんだと思う。
それは私自身にも言えることで
土地に縛られ
その土地に属するために
上部を取り繕うという
偽物の自分は
もういらない。
農村は日本社会の縮図です。
子供から教わることは
常識を覆せ
ということ。
それは、ありのままの
自分でいること。ありのままでいられて
初めて、この世の理不尽さ
おかしさに気づける。